お産の痛みを麻酔薬で緩和しながら行う、無痛分娩。産後の回復も早いことから、アメリカやフランスでは妊婦の6~8割が選択するポピュラーな方法です(日本産科麻酔学会 ウェブサイトより)。日本における無痛分娩率は全体の6%ほどと、まだ一般的な選択肢ではありません。
そんな中、日本の無痛分娩を安全で満足度の高いサービスにすべく、医療施設向けのコンサルティングなどを行うベンチャーがあります。株式会社LA Solutions(本社:浜松市中区、以下LA Solutions)の入駒 慎吾 代表に、日本の無痛分娩の実際や事業内容を伺いました。
入駒 慎吾 氏|プロフィール
1997年、島根医科大学(現:島根大学)卒業。卒業後の8年間、総合周産期センターや離島での産婦人科診療に従事した後、2005年より聖隷浜松病院にて麻酔科へ転向。無痛分娩の立ち上げプロジェクトを成功させた後、2017年4月に株式会社LA Solutionsを設立する。2018年、第122回日本産科麻酔学会学術集会長を務めるなど、無痛分娩の安全性向上に尽力している。2019年3月、グロービス経営大学院でMBAを取得予定。日本麻酔科学会指導医。日本産科婦人科学会産婦人科専門医。
相次ぐ無痛分娩による医療事故で、起業を決意
菅原:日本産科婦人科学会が認定する専門医であり、麻酔科においては専門医より上級となる指導医の認定資格を持つ入駒さん。どのようなキャリアを経てきたのですか?
入駒:島根県の大学病院で産婦人科医として勤めていましたが、退職をきっかけに「自分が好きなことをやろう」と思いました。おもしろいと思っていたのが産科麻酔です。そこで、昔、麻酔科の教育を受けた聖隷浜松病院(浜松市中区)に転籍しました。そのうちに無痛分娩に関心が湧き、2009年の1年間、国立成育医療研究センターで産科麻酔の診療に専念しました。
菅原:産科麻酔のキャリアも順調に積んでいかれたのですね。
入駒:2010年に聖隷浜松病院に戻ったところ「当院でも無痛分娩を開始したい」と、プロジェクトの立ち上げ要請がありました。大成功を収めて業界でも注目を浴びましたが、私は、無痛分娩が大好きというわけでもないんですよ。
ただ、診療が非常に得意なんです。産婦人科と麻酔科の両方の視点から、偏りなく正しい判断ができるという強みがあります。
菅原:無痛分娩のスペシャリストとして大きく活躍する中、どのような理由で起業をしたのですか?
入駒:「日本の無痛分娩を安全な医療行為にしなければならない」と考えたことでした。2017年に、無痛分娩による医療事故が立て続けに報道されました。日本の無痛分娩業界が揺らいでいるのを目の当たりにして、自分が立ち上がらねばという気持ちが強まったのです。
社名にある“LA”は“Labor Analgesia(無痛分娩)”の略。LA Solutionsは、無痛分娩を普及させたいという考えではなく、無痛分娩における問題を解決していく会社です。起業の前の2016年からグロービス経営大学院で経営を学びはじめたこともあり、徐々にビジネスとして仕組みにしていきたいという考えに至りました。
無痛分娩に関わるすべての人の”満足”と”安全”に貢献を
菅原:御社のソリューションについて詳しくお聞きするにあたって、無痛分娩の方法を簡単に教えていただけますか?
入駒:シンプルに言うと、硬膜の外側(硬膜外腔)にカテーテル(管)を挿入して麻酔薬を注入して痛みを和らげています。このカテーテルが、脳と直結している硬膜の奥のくも膜下腔に入り込むと、麻酔が効きすぎて息が止まってしまいます。
カテーテルがくも膜下腔に入り込む確率は、非常に低いですがゼロにはできません。しかしながら、そうなったときに発見して早急に対応すれば大事に至ることはありません。そして、その対応は、もちろん産婦人科医でも行うことができます。
菅原:すぐに発見できる知識と、対応できるスキルがあれば安全性が高まるのですね。なぜ、早急な対応が難しいのでしょうか?
入駒:それには、日本の特殊な医療構造が関係しています。日本では、家の近くにクリニックがあってすぐに受診できますよね。入院施設を持たない小さな診療所と巨大な病院しかないような諸外国と比べると、これはとても珍しいことです。
日本のお産を支えているのも、そのような小規模のクリニックや病院です。そうした医療施設が妊婦のニーズをくみ取って、自分たちで無痛分娩を取り入れてきたんです。知識やスキルが十分でない医療施設があってもおかしくないですよね。
菅原:医療構造そのものに、ボトムネックがあったとは。
入駒:その構造を変えるのは難しいので、医療施設の知識やスキルの向上を図るコンサルティングが効果的だと考えました。無痛分娩のクオリティを高めることで、母体の異変に早く気付き、適切な対応を行うようになって安全性が高まるというロジックです。
菅原:コンサルティングはどのように行っているのですか?
入駒:実際に医療施設に出向いて、直接医師やスタッフへ月に1回程度、さまざまな指導をします。最初は、一般的なやり方を教えたり、間違っているところを正したり。その後は、1か月間に経験した全症例を「これは、こうしましょう。ここは、ちょっと危険ですよ」という具合に振り返って、安全な診療に近づけていきます。
菅原:そうしたコンサルティングは、組織立っては行われていないのでしょうか?
入駒:医療施設に出向いて直接、必要なレクチャーをしなければ効果を得ることが難しいので、病院に務める医師が行うことは難しいのです。学会も2年に1回のシミュレーション教育を始めていますが、忙しくて行けない医師も多いです。私も、覚悟を決めて病院を退職して起業したという経緯があります。
菅原:入駒さんが意を決した背景には、産婦人科業界からの要望もあったのでしょうか。
入駒:2018年11月23日に、第122回日本産科麻酔学会学術集会をアクトシティ浜松で開催したところ、657名が出席するという史上最大規模の大成功を収めました。657名のうち、助産師さんなどの医師以外が230名。これは学術集会の出席比率としては異例な数字で、それだけ世の中のニーズがあることを肌身に感じました。
菅原:日本でも優れた技術が広まり、無痛分娩がもっと一般的になるはずだと。
入駒:そうです、学会のテーマも「JAPAN WAY」としました。日本の無痛分娩を、日本オリジナルの優れたクオリティとして世界に発信したいと思っています。
ビジネスを通じて、医療を頑張るすべての人を幸せにしたい
菅原:無痛分娩の安全性とクオリティが向上することで、さまざまな効果が得られると思います。医療施設が無痛分娩を取り入れるメリットはなんですか?
入駒:妊婦の満足度が、明らかに上がります。すると、口コミで患者が増えますね。売り上げが増えて、単価の向上も見込めます。目に見えない部分では、医療施設の評判が良くなったり、安全性の面から医療訴訟のリスクから遠ざかったりするメリットもあります。
菅原:サービスの最終的な受け手である妊婦の方のメリットは、純粋に痛みが和らぐということでしょうか?
入駒:それ以外にも、マインドの面で少子化対策に貢献すると考えています。例えば、1人目の子は自然分娩で産んで、2人目は無痛分娩にした方に感想を伺うと「こんなに楽なら、もう1人産んでも良い」というコメントをよくいただきます。
クオリティの高い無痛分娩を受けた人のマインドは、少子化と反対の方向に向かうようです。妊娠と出産の意思決定にはさまざまなファクターが絡むので、実際にもう1子を妊娠するかは別ですが。
それから、出産の負担が大きくなる高齢の方にも、ダメージの少ない無痛分娩を選択していただくと良いと思います。
菅原:少子化という社会課題の解決にも一役買っていきそうですね。事業の核心は何でしょうか?
入駒:実は、無痛分娩の安全性向上を通じて、医師やスタッフのモチベーションを上げているのです。LA Solutionsのコンサルティングを受けることで、医療従事者は自分が提供している医療行為に誇りをもって毎日を過ごせます。妊婦から「ありがとう」をたくさん言われるので、ES(従業員満足)がとても上がるんですよ。そして、これはそのままCS(顧客満足)につながります。
私は、ずっと、医療従事者を支える事業をしたいと思ってきました。そうした観点では、女医専用の託児所を作りたいと思ったこともあります。無痛分娩は得意なので生業にしていますが、本当のライフワークという意味では、人の育成を通じて医療従事者のハッピーを実現していきたいのです。
菅原:今後は、どう展開していきますか?
入駒:世の中の無痛分娩に対するリテラシーの向上がますます必要になってきました。それに伴い、3月を目途に非営利団体の設立を準備しているところです。市民公開講座などを、さらに力を入れて行っていきます。
また、日本で培ったデータやノウハウをITシステム化し、中国で無痛分娩を普及する計画も始めています。
菅原:最後に、この事業にかける入駒さんの想いを聞かせてください。
入駒:医療従事者の幸せというゴールを実現するために、ビジネスというツールを使って医療業界に革命を起こしていきたいですね。
▼書籍紹介
入駒氏の知恵が詰まった書籍はこちら。無痛分娩を安全に行うために必要な知識が凝縮されたガイドブックになっています。
「図表でわかる 無痛分娩 プラクティスガイド」 メジカルビュー社より
編集部コメント
医療施設と妊婦、双方の満足度を高めて社会に貢献しているLA Solutionsの事業。安全な「JAPAN WAY」の無痛分娩が普及することで、女性が出産に前向きになれる世の中が実現していく可能性を感じました。