日本におけるがん患者数が増加し続けています。2014年に新たに診断されたがん罹患(りかん)数は867,408例と、過去10年間で約1.5倍になりました。(国立がん研究センター 日本の最新がん統計 より)一方で医療費は削減の方向にあり、退院後や通院に付随したケアが行き届いていないのが現状です。
そんな中、浜松市に、がん患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ/生活の質)を向上する取り組みを行う企業があります。がん患者向けの理美容室の運営とウィッグの販売を手掛ける、株式会社PEER(ピア/本社:浜松市北区)佐藤代表にお話を伺いました。
佐藤 真琴 氏|プロフィール
1977年生まれ、浜松市出身。アメリカ留学の後に浜松へ戻り、2003年に看護専門学校へ入学。実習中に白血病の患者と出会い、がん患者のウイッグと地域ケアの必要性を知る。資金5万円で「ヘアサプライピア」を開業し、個室専門美容室のピアを運営。抗がん剤治療などの脱毛時期の過ごし方を一緒に考え、値ごろ感あるウィッグを提供する。2009年、株式会社へ組織変更。現在は、全国の理美容室と連携し、ピアのウィッグと相談場所を提供している。途中、静岡大学大学院工学研究科にて、社会事業領域におけるものづくりの可能性について学ぶ。同大学事業開発マネジメント専攻終了、工学博士。日経ウーマンオブザイヤー キャリアクリエイト部門5位、内閣府女性のチャレンジ賞など受賞多数。
資金5万円からの創業、がん患者が買いやすいウィッグを求めて中国へ
菅原:もともと、看護に関心が向いたきっかけは何だったのでしょうか?
佐藤:30歳になったときに、このままで良いのかと悩んだことだったんですよね。それまで、一般の企業で仕事をしていました。それは、ルーチンの毎日をこなすだけで、自分は世の中に何の価値も生んでないと思って。
そんなとき、看護の専門学校の受験を考えたんです。看護の仕事ならシンプルに人の役に立てると思ったので。それで、近所の看護学校を受験しました。
菅原:そこから、佐藤さんが、起業することになった一番の理由は何でしょうか?
佐藤:がん患者さんが買うウィッグの値段が、100万円など高かったことです。自動車でも、高級車から軽自動車までラインナップがあるのに、どうしてウィッグには値ごろなラインがないのだろうと。そこで、看護学校に在学中、ウィッグのことを調べてみました。
菅原:どんなことが分かりましたか?
佐藤:海外では、日本よりウィッグが買いやすいことです。例えばアメリカでは、5万円からオーダーメイドで作れます。しかもネットで注文できる。そのことが、結構なセンセーショナルでしたね。そういったデータをずっと集めていったら、なんとなく私も作れそうな気がしてきたんです。
菅原:ご自身で製作をですか?コネクションがあったのでしょうか。
佐藤:いえ、なかったので、ウィッグの一大生産地である中国の青島に行きましたね。20社ほどの工場を回りました。その中の1社に、「製品(ウィッグ)を送ってくれたらもう半額払います」と言って、販売価格の半額を置いて製造をお願いしてきました。そうしたら、後日、本当に製品を送ってくれたんですよ。その企業さんとは、今でも主契約をしています。
菅原:データや調査を大切にしている佐藤さんには意外なほど、思い切りが良いですね。
佐藤:青島については、中国の旅行ガイドブックにも3ページ分情報が載っているし、日本人会もあるらしいと。何とかなりそうだから、とりあえず行こうと思いました。
菅原:それほど、がん患者の切迫したニーズも感じていたのでしょうか?
佐藤:私が実習していた病院には、白血病(血液のがん)の患者さん専用の個室がたくさんありました。そこが満床で、別の部署の個室まで使っていたのです。ウィッグを必要としている患者さんは、すぐ目の前にたくさんいらっしゃいました。
菅原:実際、製造先まで確保できたあと、販売はどうされたのですか?
佐藤:「ヤフーオークション」を活用しました。ネットで検索をしていたときに偶然見つけて、その手があったかと。ウィッグは、販売価格を抑えて返品保証を付けました。その代わりに、お客さまからフィードバックをいただくようにしていました。
菅原:スモールスタートだったのですね。
佐藤:当時まだ学生で、アルバイトもしていましたから。生活費などを差し引いて残る金額は5万円。それを、「ヘアサプライピア」として個人開業する際の資金にしました。そんな“自分サイズ”で何ができるだろうと、勉強部屋で1人考えるところからスタートをしたんですよね。ウィッグが無くて不便だという、がん患者さんの課題を解決するために。
菅原:そこから現在のPEERの事業形態になるまで、どのように商品やサービスを市場に浸透させていったのでしょうか?
佐藤:小さいことをまず市場に投げてみて、軌道の修正を細かくしました。お金を出して買っていただくことからは逃げずに、がん患者さんが必要としているツールやソリューションにしていきました。
菅原:常にお客さまの声を聴いて少しずつ大きくしてきたのですね。
佐藤:美容室を始めたのも、お客さまからの希望でした。患者さんからのメールが毎日200、300通と来る中で、「リアルで会って話したい」というご意見が多かったです。また、小さなオフィスを構えるとすぐに、美容室がほしいという声も上がりました。
美容室さんをいくつか説得しましたが、「私たちがやるにはちょっと…」という反応です。それなら自社でやりましょうと、お金を借りて物件を契約しました。美容師さんを雇用して美容室を始めたのが、2007年のことでした。
必要とされることを1つずつやっていっただけなんですよ。そんな広がり方です。
安心して相談できる場所を通じ、脱毛の時期でも暮らしやすい地域づくりを
菅原:店舗を増やしていくのには、ご苦労が多かったのですね。
佐藤:最初は、誰も話を聞いてくれませんでしたね。そんな中、お客さんが「私がパンフレットを美容室の先生に渡してあげる」と、勝手に宣伝部員になってくれました。口コミが広まり、そのうちに賛同してくれる美容室が出てきて、現在では連携店が全国に約70店まで増えました。
菅原:事業の拡大と同時に、自身の成長を感じた出来事もあったと思います。
佐藤:東海若手起業塾に一期生として参加したことは大きかったです。これは、ブラザー工業社が、2008年に100周年を迎えて立ち上げたプログラムです。社会課題を解決しようと頑張っている、社会起業家の支援を通じて、ベンチャースピリットを取り戻して次の100年につなげようと。お世話になっている方にお声掛けいただいて、「どのように多地域展開をしていくか」をテーマに1年通いました。
菅原:起業塾では、どのような学びを得たのでしょうか?
佐藤:今でも役に立っているのは、社長としての視座を一段上げていただいた経験でした。
例えば、乳がんだけでも、年間8万人の患者さんが発生している中、店舗でどんなに頑張っても、年間2000人しかケアできません。「全然足りていないじゃないか、2001人目には何もしないのか」と、言われました。
そうした、うっすら分かっていたことを、ズバッと突き刺される体験をたくさんしましたね。事業それ自体では成長をしませんし、やっていることも当時から変わっていません。成長するのはベンチャーの社長なんですよね。
菅原:“At your side.”の精神を大切にする、起業塾ならではの経験をされたのですね。それも手伝ってか、治療ステージに応じた体調や生活の変化に合わせた丁寧なカウンセリングが、好評のようですね。
佐藤:不安があったら遠慮なく何でも聞いてくださいというスタンスです。みなさん、不安はたくさんあるんですが、“女優”なんですよ。がん患者って周りにさほど居ませんし、居たとしても聞けませんよね。例えば、胃がんと乳がんの人で症状も薬も違いますし。
菅原:多店舗展開とともに、カウンセリングの質にばらつきは出ませんか?
佐藤:連携店さんに対して、こうしてくださいという指示はしていません。ただ、禁忌事項だけをお伝えしています。本気でこの地域をより良くしたいとか、この地域のモデルを作りたいといった方に、連携店になっていただいています。
カウンセリングは、第一に丁寧に話を聞くこと。それから、変なものも、私たちのことも売りつけないこと。あくまで、患者さんが判断をしていくお手伝いをして、患者さんご本人が決めるということを大切にしています。
菅原:どのような理由から、そのポリシーを掲げているのでしょうか。
佐藤:1回目のがんで、「嫌なこともあったけれど、自分はちゃんと乗り越えたな」という体験はとても大切です。女性のがんは、10年間で3割の人が再発します。その3割になったときに、1回目にうまく乗り越えられた人の方が、2回目もうまくやれるんです。
菅原:起業したのが浜松だからこそ、得られたメリットもありますか?
佐藤:「どんな病気でもきっと解決できる」という、前向きなスパイラルが医療業界にあるのはメリットでした。大きな総合病院から医大まである“病院銀座”なんですよね、浜松は。ガンに限らず、いろんな病気に対する治療のクオリティがとても高く、医療周りのレベルも高いです。
それから、新しい取り組みをしやすい土壌がありますね。約80万人の人口がいて産業が成立しているエリアであることも、PEERの事業を根付かせてくれたと思います。
医療と生きるすべての人の毎日を快適に
菅原:確実に事業を広げたい背景に、重大なPEERの命題があるようです。
佐藤:「医療と生きるすべての人へ」という上位テーマがあります。これまでは、がん患者さんの日常生活を豊かにするという観点から、衣食住の衣(アピアランス/見た目)に関するサポートを今までやってきました。
菅原:今後は、どのように発展していくでしょうか?
佐藤:3点あります。まず1点目は、食と住の拡充です。1つには、Eat Well。おいしく食べるために、食べること自体の支援がもう少しほしいですし、口腔ケアも必要です。もう1つが、Housing。例えば、患者さんがターミナルケアで帰宅するほかに、病院の近くに“家みたいな居場所”があってもいいのかなと思います。
2点目は、患者さんのニーズを伝えられる社会的なコミュニティを作ることです。地域の人たちが、患者さんを支えられるような仕組みを実現したいです。お見舞いを贈りやすいとか、声をかけやすくなるといった。また、医療者がそうした地域資源を活用できる仕組みなど。
そして3点目は、福祉の現場のビジネス化です。PEERでは売り先が確保されていて、例えば帽子も1,000~2,000枚というロットで仕入れをします。すると、検品やラッピング、納品などは、就労継続支援B型(※)の作業所に向いているんです。そうした、福祉の現場をビジネス化して収益を生み出すところのパッケージ化を、5年以内にしていきます。
※就労継続支援B型|年齢や体力などの理由から、雇用契約を結んで働くことが困難な方が、軽作業などの就労訓練を行う事ができる福祉サービス。
菅原:協業も増えているのでしょうか?
佐藤:そうですね。大手メーカー企業さんや運送会社さんなど、提携が増えて投資家も付き始めています。調剤薬局チェーンの薬樹HD(ホールディングス)株式会社さんとアライアンスを組んで、がん患者さんの支援に特に力を入れた新型の薬局を千葉県船橋市にオープンします。
「Canナ ビ」というブランドで、医療に近い人たちとともに、地域の困りごとにソリューションを投げかけていきます。最終的には、地域のがん患者さんが集まるマーケティングの一大プレイスを目指します。マーケティング企業のように、患者さんのニーズを調査したりデータを取ったり、ビッグデータのポータルとしての役割も見据えています。
菅原:浜松を代表する社会起業家として、メッセージをお願いします。
佐藤:患者さんたちは、良いことをしている企業から物を買いた訳ではありません。今困っているから、それを解決してほしいんです。私たちは、それをはめてみたら社会の困りごとの1つが解決できるというパーツを見つけ出して、販売しているんですね。
マネタイズのモデルを見せ続けることで、地域でチャレンジする美容室さんとか理容室さんが出てくるのが目標です。そうして世の中を良くしていきたいと思っています。
編集部コメント
社会から必要とされている事業や企業は、世に残り続けると言います。資金が5万円という小さなスタートから、全国規模の事業へスケールしたPEERは、まさにその一例です。拡大し続けるソリューションとサービスに期待が高まります。