浜松市では、中学生の約9割が部活動に加入しています。市立の中学校は41校あり、強豪校もある中、高校生以上(15~19歳)の市外への転出が増えています(浜松市 “やらまいか”人口ビジョン より)。
それは、子どもたちの心の中に「ふるさとと思えるもの」がないからだと語るのは、株式会社ジュニアアスリートの若松 一也代表。各地域で部活動を頑張る子どもをクローズアップしたフリーペーパーを発行しています。浜松では創刊から4年が経ち、地域の子どもたち、ひいては学校や親に変化が起きているそうです。子どもたちと地域に懸ける想いを聞きました。
若松 一也 氏|プロフィール
1970年生まれ、浜松市三ケ日町出身。大学を卒業後、東洋印刷株式会社(現:株式会社アプライズ)で印刷の営業に従事する。その後、株式会社静岡情報通信にて広告事業の立ち上げに携わり、住宅関連の広告やイベントなどを企画から経験。2009年、バズエージェンシーを設立して独立する。「より地域の方に喜ばれる仕事をしたい」との想いから、2015年、地域の部活動を取り上げたフリーペーパー「ジュニアアスリート浜松」を創刊。2016年に法人化し、現在に至る。
事故に遭った息子、部活動を応援したブログからフリーペーパーへ
菅原:「ジュニアアスリート」の概要を教えてください。
若松:「ジュニアアスリート」は、部活動を頑張る地域の子どもを応援するフリーペーパーです。地域の部活動を知ってもらうきっかけとして、2015年1月に創刊しました。
現在、紙媒体の発行部数は3万部で、市内にある200ヶ所を超える専用ラックで配布しています。バックナンバーはホームページでも発信しており、PV数が200万以上、2018年7月には300万に到達する勢いとなりました。
菅原:破竹の勢いで伸びていますね。浜松市では部活動が盛んなのでしょうか?
若松:はい。例えば、私の出身地である三ケ日町。ここは、人口1万人ほどの小さな町ですが、野球がとても強いんです。三ケ日中学校は、県大会への出場回数と優勝回数が最多なんですよ。早い子は、小学校1年生から野球を始めるほどです。
菅原:浜松の野球がそんなに強いとは、驚きました。
若松:私の息子も、小学3年生のとき野球少年団部に入団入部しました。でも、運動神経が全くなくて。運動会のかけっこでは、いつもビリなぐらいで。それでも、ピッチャーになりたいという目標を持って、毎日頑張っていたようです。そして5年生の夏休み、事故に遭い、全身を負傷してしまったんです。ドクターヘリで搬送されるほどの重症でした。
菅原:それは大変でしたね。治療も大変だったと思います。
若松:全身をギブスで固められているのに、つらい顔を見せないんです。野球への意欲もあって。息子を応援する気持ちももちろんありましたが、辛い気持ちを紛らわすためにも、「空飛ぶ野球少年」というタイトルでブログを始めました。
菅原:ブログを始めて、何か変化はありましたか?
若松:事故に遭って可哀想だという声も手伝って、息子がチームのキャプテンに選ばれました。大会に行くと、私のブログを見てくれているお母さんたちがいて、息子に声をかけるんです。すると、息子も行く先々で「こんにちは!」とあいさつをするようになりました。
菅原:息子さんの行動に変化が現れたのですね。
若松:キャプテンである息子に倣って、チームのメンバーもあいさつをします。すると、だんだんと応援されるチームになっていったのです。応援されたことで、試合はもちろん練習まで頑張るようになったんです。
それに、子どもたちが自らお互いを励ましあったり、できたこととできなかったことを話し合ったりするようになって。取り組みが変わったことで、県大会にも行けました。
事故で軽トラックに7、8メートル飛ばされた彼のピッチャー人生は、文字通り「空を飛んで」始まりました。最後は、「マウンドで腕を広げて投げる姿が、空を飛んでいるようだった」と、ブログを終えようと構想していたら、本当にその通りになってしまったんです。
菅原:地域の人の応援は、予想以上に大きな効果をもたらすのですね。
若松:部活動を頑張る子どもや家庭には、きっと日々のドラマがあると思います。それらに気づいてもらえるきっかけの場を作りたいと思いました。
もともと広告業界で、マンションのチラシやパンフレット、分譲地の広告の企画などを経験して。2009年に独立してからも、細々と住宅のチラシや本を出していましたが、「住宅じゃないな」と心のどこかで思っていて。
ジュニアアスリートなら、もっと地域の方に喜んでもらえるかもしれないと。息子の中学校卒業を見届けたのちに、創刊しました。
部活動の質を上げる思いがけない“ジュニアアスリート効果”
菅原:ジュニアアスリートの発行で、地域に何か変化はありましたか?
若松:「取材を受けてから、子どもたちの取り組みが変わった」というお声をたくさんいただきます。県大会への出場だった目標が、全国大会の優勝へと変わった小学校のミニバスチームがありました。そのチームは、ついに県大会を突破して全国大会で準優勝しました。
菅原:子どもたちの意識が変わると、結果も変わるのですね。
若松:浜松市には、静岡県大会に出場する種目が19種目あります。ジュニアアスリートの創刊前は、9種目が県大会で優勝しました。その翌年は、15種目に。学校の先生方は、「これは明らかに“ジュニアアスリート効果”だ」と言ってくださいます。そんなことも励みになっています。
菅原:情報は、読者からの提供や掲載依頼で賄っているそうですね。
若松:掲載の依頼は原則として断りません。「万年一回戦負けなので、うちのチームは載りませんよね?」と、言われるチームでも取材に伺います。とにかく「地域で頑張っている子ども」がキーワードなので。
菅原:ジュニアアスリートを通じて若松さんが目指している世界観を教えてください。
若松:親御さんたちに、子供の背中を“本当に”押す存在になってほしいと思っています。試合では白熱するあまりに、厳しい言葉を投げかけてしまうことも多いですよね。それを「がんばれ」「大丈夫」といったプラスの言葉を発することで、健全な親子関係を築いてほしいです。
それから、浜松には情熱的な先生が多いので、子どもの個性を尊重して支える存在になってほしいと願っています。私たちは、人の命や財産など大切なものを守ってくれる人を「先生」と呼びます。「人として成熟させる」という指導者の役割も、等しく尊いことだから「先生」と呼ばれるのだと思います。そんな学校の先生たちに、初心に帰るきっかけにしてほしいという思いがあります。
そして、地域の人たちに子どもたちを見てほしいですね。そうすれば、昨今話題となるようないじめや犯罪もなくなっていくと思います。
菅原:地域をより良いところにという、若松さんの強い想いを感じます。
若松:浜松市は、政令市の中で若者の流出数がワースト4位なんです。約2,600人が市外へ出ていきます。高校3年生の数がおよそ7,600人なので、その3割以上が卒業とともに抜けていくと考えると相当多い数字です。
菅原:浜松市へUターンする人の数も、大きく増えていません。
若松:「故郷の意識」がないからなんです。例えば、地域の人に声をかけもらった経験や、部活や学校に愛着があれば、浜松に戻ってきたくなると思います。ジュニアアスリートには、 “失われていた故郷”を取り戻すという意味もあるんです。
菅原:最近では、事業コンテンツも増えているようですね。
若松:高校版も欲しいという声をいただき、「ジュニアアスリートプラス」を創刊しました。また、ほかの地域でも同じようなことを考えている人がいるのではないかと、昨年にフランチャイズを始動しました。
菅原:フランチャイズは、どのようなエリアで展開していますか?
若松:一号目が、ジュニアアスリート豊橋(愛知県)でした。次いで、岡崎(愛知県)、郡山(福島県)でも始まり、静岡市でもじきに創刊します。
菅原:どれくらいのスケールで運営できるのですか?
若松:人口が20~30万人、中学校の数が20校ほどの規模があれば成り立ちますね。作業も1媒体につき1~2人でできます。少人数でやっていくことも、地域のメディアが持ちこたえる要素の1つかと思っています。
菅原:対象のエリアをぎゅっと絞っているのですね。
若松:できるだけ「故郷」を感じてもらうためです。「ジュニアアスリート+地名」という冊子名を付けてもらっています。
菅原:運営はどのように行っているのですか?
若松:プロではなく、地域の一般の方に担ってもらっています。郡山が良い例で「ずっと専業主婦でした。でも、子どもの部活動では一生懸命、写真を撮っていました」というような方が、「やってみたいんです」と手を挙げてくれました。
地域の方たちが、みんなで冊子を作り上げていくというのが、より価値があることだと思います。
ローカルのメディアが地域を支えるインフラとなる
菅原:各地で広がりを見せるジュニアアスリート。今後は、どのような展開を目指していますか?
若松:私たちが目指しているのは、「ハイパーインフラ」です。おかげさまで読者さまが付いてくれているので、さまざまなアプローチができると思っています。
菅原:進行中のプランを教えてください。
若松:1つは、部活動とアスレチックトレーナーを結び付ける取り組みです。例えば、常葉大学の浜松キャンパスには、理学療法士になりたい学生さんがたくさんいます。そうした学生さんに学校に来てもらって、サポートをしてもらえるような仕組みを構築中です。
2018年4月に、浜松市では部活動を週休2日するガイドラインが設けられました。練習時間も2時間程度に限られるため、部活動を効率よくやる必要にかられています。すると、そこに専門性が欲しくなるんです。プロのアスレチックトレーナーにも、学生とつながりたいという方がいるので、そのきっかけにと考えています。
菅原:ジュニアアスリートを通じて、たくさんの声が集まっているのですね。
若松:学校の先生にも、「高校生の離職率が激しく、新入社員の4割超が会社を3年以内に辞めてしまう」という相談をいただきました。なぜかというと、入社前に会社のことを良く分かっていないからないんです。そこで、社会と学生をつなぐメディアの創刊を進めています。
浜松にも、「下町ロケット」のような企業があると思っているんです。従業員は少ないけれど、「この部品のシェアは世界で99%」といったような強い会社が。そういった企業が学生の目に触れて、選択肢の1つとなってくれたらうれしいです。
菅原:広い意味で「子どもを応援する」メディアに成長しているのですね。
若松:社会に出てからも、子どもたちを応援していきたいですね。来年度以降で、大学の進学についても、同じ取り組みができらたと思っています。
菅原:最後に、この事業にかける想いを教えてください。
若松:親御さんからも「子どもたちは今後を担う人材なので、ジュニアアスリートの取材は非常に意味があった」という声をいただきます。だからこそしっかりしたものを作り上げたい。今後も、小中学生を中心に、地域の未来を担う子どもたちを応援していきます。
編集部コメント
プライバシーや肖像権の課題もあり、創刊に至るまでは苦労も多かったというジュニアアスリート。若松氏の熱い思いが、関係者の心を動かしていきました。この、「子どもたちの頑張りが、地域を活性化していく仕組み」が、全国に広まる日も近いかもしれません。